◇エデンの光と影◇~11~

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

コトコと初めて唇を重ねたあの日から、教高神イリエの中で何かが確実に変化し、それは態度となって表れていた。

以前は別棟に部屋があるコトコが 朝目が覚めると慌てて身支度をし、大理石の廊下をぱたぱたと走り抜け、翼をおさめてもらう為に教高神の部屋を慌ただしく訪問していたのだが、唇を合わせてからからというもの、教高神が朝早くにコトコの部屋のドアを叩き、まだ寝ぼけ眼の状態の身体を無理矢理起こして翼をおさめる、という流れになってしまった。
そしてそのままクタリとしているコトコを膝に抱き上げて、休む事無く唇を堪能し、神力を体内へと戻す―

教高神としては単なる流れ作業的行動だったのだが、その行為を受けているコトコは教高神とは違い、‘翼をおさめる為の不可欠な行為’としてとらえる事は出来なかった。

唇が重なり触れ合う度に、胸の鼓動はどきどきと早鐘打ったまま落ち着く事は無く、思いを告げられぬまま過ぎて行く日々に何度涙を溢れさせたかもわからない。

自分の気持ちを胸の奥に無理矢理押し込んで、納得して始めた事だったが、毎日の出来事が戸惑いでしかないコトコは、やがて声をかける事も 視線を合わせる事も止め、教高神からだんだん距離を置くようになっていた。

朝の団欒の一時も「早朝学校があるから」と言って足早に門を出て姿を消し、「居残り授業があって…」と帰宅が遅くなる事も少なくはなかった…

 

 

そんな事が何日も続いた夕食後の事、とろりとした焦げ茶色のカラメルがたっぷりかかったノリコ特製プディングを食べようと コトコがきらきらと瞳を輝かせてスプーンで掬おうとしたその時に、教高神がふいに声をかけてきた。

「コトコ、話があるんだが」

コトコは一瞬ぎくりとし顔を引きつらせたが、やがて視線を彷徨わせ、スプーンを持っていない方の手をひらひらと動かした。

「後でもいい?おばさんの作ったプリン、イリエ君も好きでしょう?食べようよ」

「……後で食べる……」

張り詰めた空気が漂う、家族全員が集まるダイニング。
コトコはごくりと喉を鳴らした後 誤魔化す様に小さく笑い、逃げる様に顔を俯かせた。

「いいから俺の部屋に来い、大事な話だ」

(絶対に断ろう、顔を上げたりしないでよそう…)
そうコトコは自分に言い聞かせるのだが、射抜かれるような眼差しを感じいてもたってもいられなくなり、暫らく迷った後、大好きなプディングを前にがっくりと肩を落とした。

「……おばさん、イリエ君とお話ししてくるので、プリンとっておいて下さい」

笑顔を張りつかせたような顔でノリコに頭を下げたコトコは、長く低い溜息を付くと足取りも重く、教高神の部屋に向かった。

教高神の自宅の書庫には、床から天井までの壁いっぱいになる作り付けの棚に、ぎっしりと本が立てられている。
本が傷んでしまうので、陽光が本棚にかからない様に設計されていて、窓は大きなガラス扉が離れた場所に一か所設置されているだけ。

テラスの近くには重厚なデスクと猫足の付いた革張りの椅子。部屋の中央には応接セットが置かれていて、出入り口となる扉の近くにもちょっとした閲覧場所があり、古風だが座り心地の良い優美な曲線を持った椅子が一脚置かれていた。
他では手に入らないような貴重な蔵書も多く、書庫は鍵が必須の場所となっている。

その書庫と二間続きで造られた教高神の部屋は、同じ屋敷だというのにどの部屋よりもシンプルなつくりの部屋だった。
余計な色の無い、真っ白な大理石の床と、同色で最小限の家具。
寝台は金の真鍮でできた天蓋付きのものではあったが、コトコの様な飾りのあるものではなく、四方に柱があるだけ。
垂らされている帳も柄は無く純白で、その帳を止めている飾具も、金の真鍮でできた飾り気のない物だった。
部屋の奥にはモザイクガラスのはめ込んである蔦の葉が彫刻されたドアがあり、決して広くはないが、教高神専用の浴室が作られていた。

書庫の応接セットに、ローテーブルを挟み無言で相向かいに座ったコトコと教高神。
二人の間にあるのはそれだけではなく、沈黙という名の重く分厚い壁。
教高神は両手両足を組んでじっとコトコへと視線を向けていたが、口を開かず顔を背ける様に横を向いている姿に腹が立ち、やがて長い脚を解き立ち上がると、回り込む様にしてその背後に立った。

「おい」

「ひゃんっ!」

教高神としては普段通り声をかけただけだというのに、その一言でソファーから飛び上がったコトコを見て眉を顰めた。
あれだけ煩く纏わりついていたコトコが、ここ最近自分を避けているような気がして、でもそれは単なる気のせいだと思っていたから。
しかし、今のコトコの反応を見るとあながち間違っていないと理解し訝しむ。
なぜ自分が避けられなくてはいけないのか、さっぱり心当たりがない。

体を起こして腕を組んだ教高神は、何か理由があるのかと頭の中で心当たりを巡らせながら、またソファーにどかりと座り込み、長い脚を組んだ。
再び舞い戻ってきた、重苦しい沈黙の壁。
教高神は思い当たる事が無く、はぁ―と深い溜息を付いた。

すっかりこの場の重たい空気にのみこまれ、緊張と動揺で背筋に冷たい汗を幾筋も伝わせているコトコは、両膝の上で両手をかたく握り合わせたり、かと思うと指を曲げ伸ばししながら、何とかこの場所から逃げ出す事が出来ないかと考えていた。
しかしその希望は、教高神のくっきりと深く刻まれた眉間のシワと、深い深い溜息を耳にした事で、呆気なく打ち砕かれてしまった。

「ここ最近、おまえ俺の事さけているだろう」

(ばれてるううぅぅ…)
教高神の一言で、コトコの心臓がぎゅっと握られているように苦しくなったが、その鼓動は耳の奥で煩く聞こえるくらいばくばくと激しく脈打ち、息苦しくて頭がくらくらしてくる。

「聞いてるのか」

「は、はひぃ……」

声が裏返り、不自然な返事しかできない。
そんなコトコを見て再び溜息を付いた教高神は、ソファーに座ったままずいっと上半身を前に倒して腕を伸ばし、コトコの小さな顎を指先で捉えた。

意思とは反対に上向かされる顎、竦む身体。
何とか外そうと首を振るが意味はなく、上向かされたその先にある教高神の切れ長の目と視線を合わせるしかなかった。
視線が合った瞬間の教高神の瞳の奥の冷たさに背筋を震わせ、これ以上は逃げられないと悟ったコトコは、もう正直に話してしまおうと覚悟を決めて、ぽそぽそと口を動かし始めた。

 
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

⑫~

?今日のメニューは?Ⅱ

@@@

 

高校最後の冬休み、大学も決まって人生を歩んでいこうとする俺の前に現れた、眩しい笑顔を持つ果て無き挑戦者よ。

そろそろ俺の体を労わってくれないだろうか…
流石の俺の胃袋もきっと大変な事になっていると思うんだ。
うんううんうううううううんんん…

 

@@@

 

「入江く~~~ん♪」

ちくしょう、あと1分早く着替え終わっていれば、この戦いのカウントダウンを聞く事も無かっただろうに…

‘悔しい’…この感情を教えてくれた琴子…

ありがたくないけどありがとう…

「今日はね、ちょっと趣向をかえてオシャレメニューにしたんだ~♪おばさんも手伝ってくれたから完璧よ!」
「あっそ」

ん?琴子風邪でも引いたのか?ああ、興奮してるだけか。
おまえの頬をピンク色に染めた顔はなんとなく可愛…

違う!大丈夫か俺!だいぶやられてるな…。

「はい、入江君ど~ぞ♪」

その頬をピンク色に染めた琴子が差し出した皿の上には、何とも言えないマーブルな感じの乳白色っぽい液体の中に薄平っい黒い何かの欠片と、むよんとうねった何かがぼてっと円を渦巻きどっちゃっと…

この料理‐‐
いや、物体の名は

 

【カルボナーラ】

 

今日天に召された食材達よ…もう食材として生まれ変わってくるんじゃないぞ…
なんだこの熱く苦しい感情は…
遠い昔にしか流した記憶がない涙が出てきたぜ…
色々複雑すぎるが一応言っておこう

…ありがとう琴子…

 

@@@

 

「入江君!お口開けてよぉ~!」
「くっ…」

目の前の琴子が得体のしれない物体にフォークを突き刺し、ぐねぐねうぬうぬぐちょぐにょと回転させながら持ち上げた。
あやしい香りと湯気の向こうに浮かぶ、琴子の満面の笑み。
毎度の事だが変な汗が背中をびっしょりと濡らしていく。
何で俺はここまでこいつに付き合ってるんだ?
ああもういい、さっさとこの悪夢を終わらせて本屋へ…

「今日はかなり自信満々!本当よ♪今回はちゃんと味見したしね~♪」
「おい待て!!今まで味見はしてなかったのか?!」
「・・・・・・・・♪」

俺の言葉に回答は返ってこず、代わりに眩しいくらいの笑みが返ってきた。
くっ!おまえ、俺を確実に殺す気だな!ラブレターを受け取らなかったお返しか!!
ふっ なかなかやるじゃないか!俺も男としてのプライドがある。
負けるわけにはいかなあぁあああい!

「入江君、はいアーン♪」

ああっ!いつもの‘アーン攻撃だ!’今日もここから戦いがはじまるのか!
俺はすでに、この攻撃をかわす事も諦めている。
何故ならば、こうしないと夜中に石鹸の香りのパジャマ妖怪が現れ、髪から滴を垂らしながら一晩中枕元で
「あ―んして…あーんして……ほら、もっとお口を大きく開けて…そう、全部よ全部、上手ね……」
年頃の男の部屋にそんな姿で現れるパジャマ妖怪よ、おまえは押し倒されたいのか?
身の燻りを誤魔化すのは辛いんだぞ!!
ごいごいだぞ!!!

はっきり言って気が狂いそうだ…

 

@@@

 

妖しい湯気と共にフォークが近づいてくる…
ここだ!この距離とこのスピード!今しかない!
俺は琴子の細い手首を掴み、百八十度回転させそのままあっけにとられている口の中へ放りこんだ!

「んっくぅ…!んくぅんくんくぅうう…」
「お味はどうだよ琴子、毎回毎回こんなもの食わされてる俺の気持ちがわかっただろう?だからもうやめてくれ!迷惑なんだよ」

やった神様仏様!
そして俺のこのIQよ!
ありがとう!
くっ…また涙が……
勝った!勝ったぞ!!消えていった今までの食材達よ!この戦いの結末を見ていてくれたか!!

目の前の琴子はフォークを口から抜き取り、ムグムグとハムスターのように頬を膨らませながら平然とした表情で食べている。
……おい、おまえ味覚大丈夫か?

ほっぺをもごもごと動かし、ゴクンと飲み込んだ琴子の白い喉元。
ゆっくりと上下するその……

っ……くぅ…

俺待て!ありえないだろ!俺しっかりしろよ!今ナニを想像した!!

「…おい、口のまわりすごいクリーム(のようなよく分からない液体)がべったりついてるぞ。女らしさの欠片も無いな」
「ブーッ、れっきとした女の子だもんブーブー」

ぷっくりとした柔らかそうな唇を尖らせて、琴子は眉間に薄っすらとしわを寄せている。

ッ…そのくちっびるッ……今の俺にはッ……ッくぅううううう!!!

視線をその唇から外す事が出来ぬまま、冷静を装いなんとか声を出し、俺は脇に置いてあったひざ掛けをかけた。
如何にもついでという感じでティッシュの箱に手を伸ばす。

「ほら、拭けよ」
「ありがとう入江君♪」

この俺が親切にもティッシュを渡そうと琴子に手を伸ばしたその時、皿が傾き (よくワカラナイ)それがぼたりと俺の腕に垂れ…

ペロリぺチョリ…

あああ!なんで舐める、躊躇とか何か無いのかおまえはあぁぁぁ!ヤメロ!ヤメ…

「ん…ぺちょり…ペロペロ……美味しいよぉ♪入江くぅん」

琴子の小さな口からピンク色の柔らかい舌が出され「もったいなーい」と俺の腕を舐めている。
やめろ…それ…その舐め方…その上目使いは反則だ!

…くッ…くぅ………!

「入江君、もう一回!はい味見――!」

そう言いながら琴子は細い指先についたクリーム(らしき液体)を、俺の口元へと近づけてきた。
何故かクラリと眩暈が…

チュッペロリ

ああああッ!何故俺は琴子の指を舐めた!条件反射とはいえなぜ吸った?!嘘だ!
くうッ…ッ俺、負けるんじゃない!頑張れ!

「もういいッ!早くこの部屋から出ていけ!入ってくるな!!わかったな!」

しぶしぶたらたらぶーぶーと未練がましく歩く琴子を睨み怒鳴りつけどうにか出ていかせ、イヤミなくらいおもいっきりドアを閉めて、俺は大きな音を立てて鍵を閉めた。

 

@@@

 

疲れた…
祐樹、まだ帰ってこないよな…
当分帰ってくるんじゃないぞ…
あ、ティッシュ補充しないとなぁ……

ガサゴソ…

…くッ……

負けか………

 

 

 

おわるですw

?今日のメニューは?

@@@

 

最近、琴子はとある無謀な挑戦に挑みまくっている。
しかしはっきりって、意味が無い。
そんな時間があるなら勉強しろと何度心で叫んだだろうか…
その無謀な挑戦―

それは…

料理だ

母親譲り(らしい)その才能に拍手しかない。
おじさんには悪いが、一生こいつの料理は…

何があいつを動かしたのかは皆目見当つかない。
本人だって避けていた(?)筈なのに、何故だ?何故突然?突然すぎるじゃないか!
誰にどんな入れ知恵されてこの試練を!?
お前、俺の事が好きなんだろう?
だったら

 

― お願いだからやめてくれ ―

 

@@@

 

この悪夢がいつまで続くのかはわからない。
「いらない」「うるさい」「めざわりだ」「めいわくだ」
その他諸々様々な言葉を山ほどぶつけているというのに、こいつの耳は全く受け付けず、全て消滅させてしまう。
ある意味それも特技なんじゃないだろうか。
もういい、付き合いきれない。
最近では‘あっちにいけ’攻撃も‘無視’攻撃もまったく効かなくなってしまった。
なのであきらめて、好きなようにさせている。

それにしてもここ一週間と二日こいつのsurvival-menuに付き合わされているのだが、びくともしない自分の胃袋に敬意を表する。

 

@@@

 

ありえない……どこをどうやったらこうなる?

茶色を通り越して黒に近く、ひたひたとした粘着性のある(ような)液体の上で浮き沈みしている、ブヨブヨした大小の物体…
この料理―‐‐
いや、この物体の名前は

【麻婆豆腐】

琴子…おまえ、ある意味天才だ。

大豆(その他)達よ、よく耐えた。
心おきなく天へ召されてくれ。
いままでに散っていった仲間によろしくな…

琴子に‘同情’という感情を教わった。

 

 

…ありがとう琴子…

 

◆エデンの光と影◆~10~

*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

イリエ・アティア・シゲキの妻、イリエ・チュス・ノリコがコトコに用意した部屋は、それはそれは可愛らしく、拘ったものだった。
足元に広がる床や整然と並んだ円柱は、華やかさと温かみを備えた淡紅色の大理石で統一され、高い天井には精緻なフレスコ画が隙間なく描かれており、花や動物達に囲まれて微笑んでいる美しい女神が、この部屋の主を見下ろしている。
大きな窓の窓枠には果物や花々の彫刻が細部まで凝って刻み込まれ、その窓の外にあるのは色とりどりの花々が存在する天使界でも一目置かれる庭園。
花の形に造形されたステンドグラスの小さな天窓からは、柔らかい天の光や澄んだ月光、星の瞬きが優しく室内へと降り注いでいる。
そして中央には、金の真鍮の枠組みから純白の帳が下りた、優美な鳥籠の様な天蓋付きの寝台が設置されていた。

そんな可愛らしい部屋の寝台に移動した神学天使イリエは、先程まで夢中になって貪っていた唇から目を離す事が出来ぬまま、クタリとのびているコトコを真っ白なリネンの上にそっと下ろした。

コトコの横に音を立てない様にぎしりと座り、ぷるんとした唇を親指の腹でなぞる。
指先から伝わる、例えようもない柔らかさと弾力。
己の理性を失わせた、甘美なる唾液。
耳にまで移動してきたような、煩いほどの鼓動。
一度も体験した事のない、欲する事を抑える事が出来なかった衝動。

そしてもう一つ、不思議な出来事が神学天使イリエの身に起きていた。
それは、コトコへと注いだはずの神力が、体中隅々まで満ち溢れているという事。

頭の中でグルグルと回り続ける疑問に答えを出せない自分がもどかしく、神学天使イリエは眉間に深いシワを刻み、顔を両掌で覆った。

二人のいる空間に訪れた、暫しの沈黙。
窓から洗練された風が静かに吹き込み、妖精の悪戯の様にコトコの頬をそっと優しく撫でそよいでいく。
その風に乗って、コトコの揺らされた髪から届けられる、甘い花の香。
顔を覆っていた両掌を膝の上に置いた神学天使イリエは、体を捻りコトコへと視線を移した。

月光をそのまま取り込んだような、まばゆい白い肌。
純白のリネンに広がる、艶やかな黒髪。
閉じた瞼に邪魔をされ、見る事の出来ない黒目がちな瞳。
聞く事の出来ない、鈴の音のような声。

「俺は一体…」

コトコの姿を目に映しても、ただの煩い同居人としか感じる事はなかったというのに、今の自分はどうだろう。
突然心に湧きあがった、締め付けられるような苦しさから逃れる事が出来ず、体内を駆け巡る熱い燻りに今にも燃え上がってしまいそうだった。

突然舞い降りてきた、答えの出せない幾つもの疑問に対して、心の中で悪態をつく。
頭がくらくらし、呼吸が苦しくて堪らない…

神学天使イリエがそんな思いに押し潰されそうになった時、リネンの上のコトコが小さく呻き、モゾモゾと動き始めた。

「あ、れ?わたし…」

ゆっくり起き上がったコトコは目を擦りながらそう小さく呟いた後、左右に首を振った。
そして自分のすぐ横に座っているのが神学天使イリエだと気が付くと、身体を硬直させ、耳まで真っ赤にして俯いた。

暫しの沈黙の後聞こえてきたのは、降り始めた雨の様な、途切れ途切れの小さな声。

「イリエ君、あの……その…///…」

「………」

神学天使イリエは、今の自分の顔を見られたくなくて、すっと顔を背けた。
喉まで出かかっている、もやついた感情を言葉にする事が出来ずに、膝を覆っている上白衣をグッと握りしめる。
それと同時に、いつもとは反対に自分よりも落ち着いて話すコトコにも苛だちを感じてしまい、また、先程自分が無理強いしてしまった事への気まずさも手伝って、謝る事どころか口を開く事もが出来ない。

「あ、あはは///び、びっくりしちゃった…//////」

「…………」

「本当に違うからね?私病気じゃないから。発熱もいつもの事で前からの事だし。自分で抑える方法も知ってるから気にしないで?本当に平気だから…
それと、あの///さっきのは//////私が病気だと思って神力分けてくれたんだよね?」

神学天使イリエは深く息を吸い込んだ後、眉間にシワを寄せたままゆっくり息を吐き、漸く口を開いた。

「ばか、どう考えても病気だろ?人間じゃないんだ。天使が発熱するなんてよっぽどの事、ちゃんと調べた方がいい」

 

―天使の病気―
それは神天界や天使界では、滅多に起きる事ではなかった。
魔空界人との戦いや接触、人界人からの感染で発症する事はまれにある事だが…

 

神学天使イリエはゆっくりと振り向き、俯いているコトコの真っ赤になっている項へと視線を向けながら、魔空界人や人界人に接触する事の無いコトコが、発熱する事はまず100%あり得ないだろうと結論づける。
「もしかして同居する前からの事なのだろうか?」とも考えたが、その時突然コトコが顔を上げ、神学天使イリエと視線を合わせた。

「イリエ君、わたし熱は出ても一回も学校休んでないでしょ?もし病気だったら学校行ってないと思うわ。ご飯だって沢山食べてるし、いっぱいお話ししてて沢山笑ってるもの。学校でもF組のみんなと楽しく遊んでるし…
ね?こんなに毎日元気なのに、どの辺が病気だっていうの?見て分かるでしょう?」

「ああ、ビックリするくらい大食らいで、お袋が嬉々としながら料理を…って、おまえ学校に勉強じゃなくて遊びに行ってるのか?」

「え?あ!違うわ!ちゃんとお勉強も…してるわよ!ははははは…」

「……おじさんに報告しておくよ。」

「だめ!それだけは内緒に…お願い!お父さんには心配させたくないのっ」

「まぁ…でも多分、俺が話さなくてもおじさんは理解していそうだけどな」

「そんなぁ…どうし……じゃなくて、もうっ!真面目に聞いてよ!!」

「くくくっ」

「わたしは本当に、毎日イリエ君に朝から迷惑かけてるの分かってるから言ってるのに!」

再びコトコがむくれだし始めた時、神学天使イリエはコトコの頭を大きな手の平でぽんぽんと軽く叩き、大きな溜め息をついた。

「それはさっきから何度も繰り返し言い合った事だろ?もう止めにしよう」

「でも、それじゃ気がすまないの」

「……なら…」

神学天使イリエは口角をあげ、思いっ切り意地悪そうに笑う。

「一つだけ俺の為になる方法があるんだが…聞いてくれるか?」

「うん!それで私がかける迷惑がいくらかでもおさまるのなら協力はおしまないわ!」

キラキラと大きな瞳を輝かせながら、コトコはガッツポーズをとった。
しかし神学天使イリエは、自分で言い出したにも関わらず、すぐには返事をする事が出来なかった。

ベッドから立ち上がり、寝台から離れて床をじっと見つめる。
考えに考え抜いて、結論を出した事ではあるのだが…

この行為を行えば、確かに自分の為にはなるが、される方のコトコの気持ちはどうなのか。
まだ十六歳とはいえコトコも女の子だ、これから現れるであろう運命の相手とする事。その行為を強要するのは可哀そうではないのか。

それよりもなによりも、この言葉を伝えてしまったら、自分の方が後戻りが出来なくなる気がしてならない…

「イリエ君?どうしたの?大丈夫??」

寝台の上から聞こえる、コトコの心配そうな声。
じっと無言を決めていた神学天使イリエだったが、やがて真面目な顔でコトコと視線を合わせた。

「さっき…俺、おまえと唇合わせただろ?」

「うん…///」

上げていた腕を下ろし、真っ赤になって俯くコトコ。

「あれで一気に体が軽くなって、神力が戻ったんだ」

「///なんで?///」

「俺だってわからない。それで…いいかコトコ、落ち着いて聞くんだぞ?」

コトコは顔を上げると、長い髪を揺らしながら首を傾げた。

「俺がおまえのその病気の原因を突き止めて、治してやる。 だから治療法が見つかるまで、その不思議な力を…おまえがいいと言えばなんだが…その行為を続けてもいいか?」

「こ、行為…///って///」

そう言いながらも、何故コトコの病気の事がこんなにも気になるのか全く検討がつかない。
今まで何に対して関心もなく、知識だけを得、自分以外の人物などどうでもよかったというのに。

「聞こえてるか?」

「う…ん…///」

真面目ぶって正当な理由をつけ話してはいるが、理由はもう一つあった。
心の奥にひっそりと隠したが、神学天使イリエは何故かコトコを自分の傍から放したくなかったのである。

「返事、今すぐでなくてもいいから…」

神学天使イリエがそう言いながら振り返ろうとした時、小さな足音が近づいてきた。
自分のすぐ後ろで止まったかと思うと、背中にこつんとコトコの頭が当たる。

「なんだよ」

コトコは額を広い背中に当てたまま、ぽそぽそと話し始めた。

「ねぇイリエ君、じゃあさっきのは…あの……キ、キス///…とは違うの?」

どくんと高鳴る神学天使イリエの鼓動。
「まさか俺が?こいつと?」と思い切りコトコの言葉を心の中で打ち消す。

「はァ?……バカ!俺の話しちゃんと聞いてたか?」

「そっか…そうよね、ごめんなさい、変な事聞いちゃって」

「ああ、当たり前だ、色気も無いガキが何考えてんだよ…ったく。おいっ、これからも翼はおさめてやる、遠慮しなくていい。さっき言った方法で神力は返してもらうからな。いいな」

「わかった。それでイリエ君が辛くなくなるのなら…出て行かなくてもいいし一緒にいられるもん!じゃあ~これからもお願いします」

背後から離れたコトコは、ぺコン―と頭を下げ、振り向く事の無い神学天使イリエに向かってホニャリと微笑んだ。

「ああ……。じゃあ俺は大院館に行って来るから…今日は…怒鳴って悪かったな」

それだけ言うと、数知神学天使は振り返る事もなく、部屋を出て行ってしまった。

「うん、いってらっしゃい…」

 

広い部屋にポツンと一人残されたコトコ。
手を振りながら微笑んでいるその瞳には、大粒の涙が溢れていた…

 

 

「ファーストキスだったのにな…」

 

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

11~

Kナース&Nドクター

~Kナース&Nドクター~

お恥ずかしながらですが、以前e様にプレゼントしたイラストです。

(こんなのですいませぬ…(;´・ω・))

アクリルチャームも作ってみました~///

モノクロはこんな感じ↓

 

※お問い合わせをしてくださった読者の皆様、申し訳ありませんが、【Kナース&Nドクターのアクリルチャーム】の再販予定は御座いません。
コチラでの返信で、申し訳ありません(;^_^A

 

◇・エデンの光と影・◇~9~

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

当主イリエ・アティア・シゲキが居を構える敷地内で、東に位置する植物園の中央にある、シンプルながらも煌びやかな建物。シンプルといっても大理石でできているそれは、神天使の住まう豪奢な神殿造りの建物には勝てないまでも劣らない上品さがあった。
神学天使イリエとコトコの部屋は、大理石の通路で繋がれており、その通路の一角にある中庭では、コトコが愛情を注いでいる花畑が広がっている。

朝の優しい光や、爽やかな風が気持ちよく入り込む、等間隔に設置された開け放たれた大きな窓。蔓草模様が一枚一枚丁寧に彫られた木の扉が並ぶ、ルスキッサホワイトの大理石でできた広い廊下。

神学天使イリエは、心をザワザワと騒めかせ、眉間にしわを寄せながらその通路を歩き、見慣れたドアの前に立った。
しかし、ノックする事も声をかける事も出来ず、腕を組み、その部屋の前で行ったり来たりを繰り返している。

 

 

コトコが去っていった後、自室のソファーの上に寝転び、フレスコ画の描かれた天井をじっと見上げていた神学天使イリエは、瞼を閉じて大きな溜息を付いた。
先ほどのコトコの言動が頭から離れず、胸の奥のもやもやを消す事が出来ない。

自分の何がいけなかったというのか。
コトコから‘もういい’という言葉を聞き、これで明日から、朝の無駄な一時と神力を使わなくてもいいというのに、何故むきになってその言葉を素直に聞き入れなかったのか。
そして、何故、今ここに来たのか…
納得のいかない神学天使イリエは、再び溜息を付いた。

 

 

「コトコ、さっきは言い過ぎた…コトコ?」

何度も深呼吸を繰り返し、漸く声をかけたというのに、扉も開かれず返事も返って来ない。
自分の声の後に続いたのは、草木が風に吹かれる、まるでさざ波の様な葉音ばかり。
沈黙に耐えられなくなった神学天使イリエが、ドアをノックしようと拳を軽く握り、腕を上げたその時の事だった。ドアの向こう側から、泣き声の混ざった小さな呟きが、途切れ途切れ聞こえてきた。

「私って本当にバカ…グスッ、でも、なんて説明したらいいか分かんないんだもん。
身体が熱くなんて言えないよ…グスッ、どうしたらいいの?…もう分かんないよ。 本当は出ていきたくなんかない、イリエ君の事が大好きなんだもの…離れたくない、でもそれが迷惑なんだよね…お父さん、私どこに行ったらいいの?…またあそこに帰ってもいいのかなぁ?…ヒック」

ドアの前に立ったまま、神学天使イリエはその言葉の意味が理解できず、眉間にシワを寄せた。

(あいつ、俺の事そんな風に思ってたのか?なんだよそれ、バカバカしい。ただ一緒に住んでいるだけじゃないか。それに帰るってどこにだ?うちの他に天使界に知り合いがいてもおかしくはないが…それより、翼に触られるのが嫌だと?って事は、今まで嫌々だったって事だよな、ちっ、はっきりそう言えばよかったんだ。病気だっって分かってるなら早く医者に診せればいいのに。)

「開けるぞ!」

ドアが開くと同時に聞こえてきた、神学天使イリエの大きな声。
涙をぽろぽろと零し、半べそをかきながら、大きな袋にギュウギュウと身の回りの物を詰め込んでいたコトコは、いきなりの神学天使イリエの登場に目を見開いて驚き、ウサギの様に飛び跳ねてしまった。

「きゃあ!な、なによ!ちょっとイリエ君!女の子の部屋にいきなり入らないでよ!」

「何言ってんだ、子供のくせに。最初っから女として見てねーから安心しろ、それより…」

無関心を装って足早にコトコに近づいた神学天使イリエは、喚いているコトコを無視して手を伸ばすと、ヒョイッと抱き上げた。

余りにも突然過ぎる、神学天使イリエの訪問。そしてその腕の中で横抱きにされている自分。

その事に驚きと興奮と羞恥を隠せないコトコは、思考が付いていかずにパニックを起こし、バタバタと手足を動かした。
しかし、神学天使イリエは何事もなかったかのように歩を進ませ、籐で編み上げられた可愛らしい椅子にストンと座ると、その小さな顎を掴んだ。
否応なしに口を大きく開かせ、喉の奥を覗きこむ。

「ん~~んがぁ!あぐぅッ!んッ、何するのよ!放してよバカ~~~!///」

「さっきから人の事をバカバカ言いやがって…おいっ暴れるなって。声が外まで聞こえてきたんだ、おまえさ、病気なのか?だったら早く医師に…」

入ってきた時同様無表情だが、自分を心配して追いかけてきてくれたんだと気づいたコトコは、申し訳なさで思い切り眉を下げた。
眉間にうっすらとしわが寄っているが、端正な顔が徐々に近づいてきて、燃えてしまいそうな程頬が火照り、胸が苦しくて堪らない。
どこを見ていいのかも分からなくなったコトコは、目をきょろきょろと泳がせると、ぎゅうっと自分の白衣を握りしめ、上目遣いでぼそぼそと呟いた。

「違うもん、病気じゃないわ…だからもう私の事はほっといてよ」

「さっき言ってたじゃないか。誤魔化すんじゃない」

これ以上この状態でいたら、心臓がどうにかなってしまいそうだ。
コトコは必死で逃げようと足掻いたが、非力な手脚は神学天使イリエの腕力には到底敵わなかった。逃げる事が出来ないと観念すると、涙が溢れそうな瞳を何とか堪え、神学天使イリエを真っすぐ見つめた。

「イリエ君、もう私の事なんか気にしなくていいよ?これ以上迷惑かけない様に、すぐに出ていくわ。イリエ君の事忘れて、知らなかった頃の私に戻るの。本当に忘れるから…今までの事、ごめんなさい」

コトコの言葉に、やはり何か引っかかるものを感じる。頭の中で処理する事が出来ない。胸の奥で何かがチリチリと燻っている。今までそんな事など一度も経験した事など無かった神学天使イリエは、瞼を閉じ黙り込んだ。

「………」

「イリエ君?…」

先程まで、ぽんぽんと言い争うかの様に話していたのに、突然返事が返ってこなくなってしまった。その事を不審に思ったコトコは、可愛らしい唇を突き出して、そおっと窺うように覗き込んだ。

ころころと表情を変えるコトコとは対象に、身動きもせず、じっと沈黙を決めていた神学天使イリエは、ゆっくりと瞼を開けると腕の中のコトコを見下ろし、薄いその唇を開いた。

「ふーん、忘れるんだ、俺の事」

「うん…忘れる。天界は広いもの。イリエ君の事すぐに忘れて、また新しい生活を始めるの」

「なら忘れてみろよ」

 

 

「っ―――!」

 

目の前にゆっくりと降りてきた、神学天使イリエの端整な顔。

重なった唇。

伝わってきた温もり。

静止した時間。

今 自分の身に起きている事が信じられず、コトコの頭の中は真っ白な光に覆いつくされていた。

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

◇・エデンの光と影・◇~8~

 

神学天使イリエ(高校生位)←教高神イリエ(博士~)と受け取って下さい。
ナオキがこの位↑の年齢の頃、コトコは高学年~中学校位です。

 

 

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

唇を重ねあい、甘い蜜を体内に取り込む。
すると失われた神力が再び取り戻され、それ以上の力が与えられる…

教高神がこの方法で神力を取り戻せると知ったのは、偶然の出来事だった。

 

 

 

コトコの父親、アイハラ・クルト・シゲオは、ディオニュソス神(酒を司る神)に仕える専属のシェフだった為、なにか外事等があれば、方々の星々についていかなくてはならなかった。

その為、幼いコトコはその度にどこかに預けなければならない。

以前は幸運な事に、その頃住んでいた場所の主人に預ける事が出来たが、その場所を突然離れる事になり、住む所もなく、悩みに悩みぬいていた。

そんなある日、特別な許可を取り、コトコを連れてディオニュソス神と共に土星に赴いたシゲオは、そこで幼馴染のイリエ・アティア・シゲキ夫妻と偶然出会った。
シゲオの後をちょこちょことくっついて歩くコトコを一目見て気に入ってしまったシゲキの妻、イリエ・チュス・ノリコの一言で、シゲオとコトコはシゲキの家に同居する事となり、現在に至るのだが…

 

 

コトコが神学天使イリエの家に同居し始めた頃、天使界にその黒い翼を見て顔を歪める天使が多々存在していた為、神学天使は母親の命により、己の神力を使い、毎朝時間をかけて、その背中に翼をおさめてやっていた。

まだその頃には、神力を取り戻す方法など知らず、神学天使イリエは自室でただぐったりとソファーに身を沈め、体を休ませるだけだった。

そしてそれは、同居を始めて、数週間がたった日の事だった。
神学天使が神力を使い、疲れた体を休めようとソファーにどっかりと腰を下ろしたその時、いつもなら自分の傍らではぁあはぁと大きく肩で呼吸をしているコトコが、真っ赤な顔でふらふらしながら立ち上がり、潤んだ目を教高神へと向けてきた。

「あのね、イリエ君。お話があるの」

「なんだよ…疲れてるんだ、静かに座ってろよ」

「いいから聞いてよ。あ…あのね、もう私の為に神力使わなくていいよ?いつも朝から無理させちゃってごめんなさい」

「は?いつもの事なんだから今更だ…別に構わない」

「でも、もういいから…ね?」

額に噴き出した、珠のような汗を手の甲で拭いながら、コトコは神学天使イリエを覗き込むようにして身を屈めた。

「なんだよいきなり。理由は?ああ言わなくてもいい、気にするな」

「でも…」

「煩い」

神学天使イリエに鋭い目で睨みつけられ、コトコはびくりと身体を震わせた。
しかしそれでも頑なに断り続け、次第に二人の言い合いは、誰も寄せ付けない程の大喧嘩となってしまった。

「なによ!イリエ君の分からず屋!時間だって勿体ないし、毎日朝からこんなに疲れなくっていいんだよ!それに……」

「だから言ってるだろ!ちょっと休めば体力だって神力だって元に戻るんだ!何回言ったらわかるんだこのバカ!‘それに’って何なんだよ!‘それに’って、はっきり言えよわかんねーんだから!」

「それは!//////…私にもよくわかんないのよ///その…だから…。べ、別にいいじゃない、とにかく、これ以上イリエ君に迷惑かけたくないだけよ!べーだっ」

「おまっ、なんだよその態度!ふざけるな!」

「もう!頭良いくせになんで分からないのよ!イリエ君なんかだいっ嫌い!!」

「なんだよ!俺がいけねーのかよ!!」

苛立ちがおさまらない神学天使イリエは、勢いよく立ち上がるとコトコの細い腕をぐっと掴み、乱暴に引きよせて顔を近づけた。
途端、目に飛び込んできたのは、黒水晶のような濡れた瞳。
神学天使イリエは心臓がどくんと跳ね上がったのを感じ、慌ててその腕を離しまたソファーに座り込んだ。

一瞬脳裏を横切った、熱い濁流。
訳も分からず顔が熱くなるのを感じた神学天使イリエは、それを誤魔化すように首を左右に振った。
深呼吸を数度繰り返し、再びコトコを睨みつける。

「ああ、もういい、勝手にしろ、これ以上ガキなんかに構ってられるかよ。おまえと話しをしているだけでも疲れるんだ。ったく、生活のペース乱しやがって。おまえがこの家に来てから鬱陶しくてうんざりしていたんだ。丁度良い、なんならこの家出て行けよ。そんなに俺といるのが嫌ならな」

勝手にぽんぽん出てきてしまう言葉。
ブレーキをかけたくても自尊心が邪魔をして、今の神学天使イリエには止める事が出来なかった。

「っ………そんなにあたし、イリエ君の邪魔してたの?」

「ああそうだよ!おまえがワケの分からない事で俺を怒らせるからだ!毎日毎日本当に迷惑なんだよ!俺の目の前から今すぐ消えてくれ!今すぐにだ!」

父親が外事で当分帰って来ない為、一人天使界に残っていたコトコは出て行けと言われて戸惑っていたが、イリエ家の長男であり、ゆくゆくは上級天使となる神学天使の言葉に口を出す事は出来ない。

迷惑をかけてしまっているのは重々承知している。
幼いコトコには、この家を出て行く…という決断しか出す事ができなかった。

ソファーに仰向けで身を投げ出し、長い脚を組んでいる神学天使イリエをちらりと横目に映したコトコは、真っ赤になってしまった目を隠すように俯き、頭を下げた。

「……わかった…今すぐ出て行く。今までありがとうございました」

「ああ、せいせいするよ!元の静かな生活がかえってくるんだ。二度と俺の前に顔をみせるな!バカコトコ!!」

「………ばいばい、イリエ君」

コトコは小さな声でそう言いながら、未だ重い身体を引きずるよう様にして、重厚な木製のドアに手を伸ばした。

「なんなんだよ…」

ソファーに寝ころんでいた神学天使イリエは、遠のく足音を聞きながらポツリ呟いた。
苛立ちを和らげようと、唇を白くなるまで噛んだり天を仰いだが それらは全く意味を成さず、首を左右に振りながら大きく溜息をつく。

ふと視線を落とせば、淡いグレーのフィオリデペスコで統一された大理石の床の上に、コトコの黒い羽根が一枚落ちている事に気が付いた。
がばっと起き上がりそれを拾い、長い指先で遊ぶようにクルクルと回す。

コトコの瞳や長い髪と同じ、湖に映り込んだ月夜のような 艶めいた黒。
天使界には決して存在してはいけない闇の色。
それをおさめてやっていたというのに、何が気に入らないのか…

≪なんなんだよ急に、折角俺が 毎朝神力使ってまで…≫

納得のいかない事には耐えられない神学天使イリエは、コトコの羽根をぐっと握り締めると、開け離れたドアの向こう側へと視線を向けた。

 

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

⑨~

◇・エデンの光と影・◇~7~

 

゚・*:....:*・゚゚・*:....:*・゚

 

 

やがて書庫内に漂い始めた、香ばしい珈琲の香り。そしてそれとは正反対の、花の蜜が入った甘いホットミルクの優しい香り。

 眉間にシワを刻み、機嫌悪そうに珈琲を飲む教高神イリエの隣には、コトコがホットミルクの入った淡いピンク色のマグカップを持って、子猫のようにちょこんと座っていた。

 「イリエ君、珈琲美味しい?」

 「ああ、美味い」

 あまりにも機嫌の悪い教高神の顔を覗き込むように首を動かすと、教高神は黙ったまま一気に飲み干し、マグカップ越しにコトコをギロリと睨みつけた。

 「あの…私何か…」

 「別に」

 「でも…」

 「煩い」

「ごめんなさい……」

 それきり、コトコが何を話しても、教高神からの返事は無かった―

 

 

 

 

「飲み終わったか」

 「うん…」

 コトコがミルクを飲み終わるのを待っていた教高神は、そう確認すると、小さな手の平からカップを取り上げ、ローテーブルの上にコトンッと置いた。

 「――じゃあ、少し力返してもらうから、こっち向けよ」

 「うん…///

 コクリ…小さく頷いたコトコは、頬をぽおっと火が映えたように赤らめると、長椅子に座った教高神と対面するように立った。そして華奢な両腕を震わせながら、ソロリと細い両腕を首に巻きつかせる。

教高神は、まるで幼子を扱う様にコトコの両脇をヒョイッと軽く抱えて持ち上げると、翼をおさめた時と同じように、自分の膝の上に座らせてしまった。

他の天使が見たら、一体どう感じるだろうこの二人の姿…

しかし教高神の表情は変わる事無く、ただ平然としているだけだった。

 「イリエ君…っ、あの……これって…私、神力を返してるんだよね…」

 「なんだよ、いつもの事だろう?最初に話しあったし、おまえだって了承済みの事だ。今更なんだよ?」

 「うん…でも、それだけ…っかなぁ…なんて…//////

「…は?何言ってるんだ?…いいからさっさと口開けろよ……」

 躊躇いながら瞼を閉じ、長いまつ毛を震わせたコトコ。

ぽってりとした唇をゆっくりと動かし小さな口を開くと、そろそろと可愛らしい舌を少しだけ出した。

 「ん…///

 「いつになったら覚えるんだ?毎回言わせるなよ、それじゃ届かないだろ?」

 「…んッ……//////

 眉間にシワをよせ、更に瞼をぎゅっと瞑ったコトコは、教高神の指示通りもう少しだけそろりと舌を伸し、鼓動をしずめる為に大きく肩で呼吸を繰り返していく。

教高神はそんなコトコの頬を包み込むように両手の平に治めると、ゆっくりと顔を近づけ、差し出された小さな舌を自分の舌先にあてて、絡ませながら唇を重ねていった。

 「んんッ…ぅ…、ん…ッ…」

 逃げようと捩る細い腰を片手で引き寄せ、ぴったりと隙間なく重なり合った唇を食んでいく。

コトコの頬がまるで赤い薔薇のような鮮やかな色へと変色し、滴を湛えた長い睫毛がピクピクと動き始める。

額から珠のような汗が伝い始めると、その身体から花の様な甘い香りが漂い始め、書庫の雰囲気が静かに変化しはじめた。

 テラスからの吹きこむ風も無い、小鳥のさえずる音も聞えない、二人だけの世界―

 教高神は手の平を後頭部にずらすと、上唇、下唇を扱くように甘噛みし、巧みに舌を動かしながら狭い口内全てをまるで我が物とでも言う様に嘗めつくしていく。呼吸が出来るようにと何度も顔の角度を変えながら唇を貪り、舌の付け根や上顎に狙いを定め、執拗にその場ばかりを攻め続ける。

 「ッぅ……ん…ふぅ…んくぅ……ふ…」

 教高神の目的は、口内を刺激すればするだけ溢れ出て来る、甘蜜…

 コトコは必死になって教高神の上白衣を握り締め、身体を震わせながら耐え続ている。

そんな小さな黒天使の姿を薄目を開けて目に映し、教高神は満足そうに舌を絡めていく。

 「ん、ぅっ……ぅ、ふっん!」

 やがて溢れ出した、甘蜜の味の唾液。

教高神は自分の舌を可愛らしく柔らかい舌に力強く絡みつかせ、全てを飲み込むようにきつく吸い上げた―

「ふぅ!…ンッ!!ぅんんんッ!」

 

 書庫の窓際にある、小さな水時計。

美しく幻想的な光を放ちながら、クルリと上下を逆さまにするだけの水時計。

空の色が変化したのを知らせるように、水をオレンジ色に光らせると、また音も無くクルリと回った。

 

短いようで、長い時間行われる二人の密事。

甘蜜をこくりと体内に取り込んだ教高神は、静かに唇をはなした。

「っ…はぁ………」

 離れてはまた重なり、また離れて行く…そして名残り惜しいとばかりに、再び重なる二人の唇。

やがて二人の唇は、光る糸を引きながら、ゆっくり離されていった。

 「…イリ……君………」

 名前を呼びながら意識を飛ばし、教高神の腕の中で崩れ落ちていくコトコの身体。

唇の端からこぼれた甘蜜は白い首筋を濡らし、キラキラと夕日に照らされ光り輝いている。.

教高神はコトコの首筋に舌を這わせ、光を放つ甘蜜を綺麗に舐めとると、息を荒げたまま気を失ってしまった黒天使を抱きかかえ、静かに長椅子に横たわらせた。

 

同居し始めて数年、年齢も離れ、恋人同士でもない二人。でも唇を重ねるのは当たり前の事で、それにこれは、必要に駆られての行為。

 教高神はなんの躊躇いも無くこの密事を続けてきたが、これからもそのままでいいのかと考えあぐねいていた。

 何かが胸の奥で、引っかかるから

 「………いいん…だよな…」

 コトコの目尻から溢れた涙を親指の腹で拭いながら、教高神はそう呟き、柔らかいひざ掛けをその身体にそっとかけた。

 

 

 ゚・*:....:*・゚゚・*:....:*・゚

 

8~

◇・エデンの光と影・◇~6~

 

゚・*:....:*・゚゚・*:....:*・゚

 

「まさか……俺達以外で誰かいるのか?」

 教高神はそう言いながら立ち上がると、その端正な面持ちに不似合いなシワを、くっきりと眉間に刻ませた。

 目を細め、コトコが指で示したその方向へと目を向けたが、目の前に広がる色とりどりの花畑を見ても、緑の丘を見ても、植物園の周りに美しく植えられた木々の歩道に目を凝らしても、その目には誰も映らなかい。

 目に見えぬ者への苛立ちで、眉間のシワが更に深くなっていくー

 自分の所有するこの植物園に足を踏み入れる事は、コトコ以外の天使は全て禁じていて、コトコもその事を知っている筈。だと言うのに、堂々と部外者を入れた。

そんなコトコに対し、教高神の怒りが沸々と湧き上がってきた。

 「おい、まさかおまえ、俺との約束を破ってこの植物園に他の天使を入れたのか?…足を入れていいのはおまえだけだと言ってあるはずだが?!おいっ、聞いてるのか!」

 「え?」

 突然声を荒げた教高神に、コトコは驚き、訳が分からぬまま後ろを振り返ると、教高神は、まるでネメシス神の持つマグマの様な真っ赤なオーラをその体に漂わせていた。

 「あの…イリエ……君?」

 コトコは小さく名を呼び、肩を竦ませたじろぎながら、教高神の様子を不思議そうに見上げた。しかし教高神は口を開くこと無く、自分をじっと睨みつけている。

 「イリエ君…どうしたの?また綺麗なお顔の眉間に渓谷のようなシワが……」

「おまえ…人の話し聞いていなかったのか?」

「え?えと……」

コトコは暫くの間、眉をハの字に寄せ唸り始めた。

「違うよ!他の天使さんじゃないよ!ほらよく見てイリエ君、彼よ?」

「いい加減にしろ!なんで俺がお前の男なんか…ふざけるな!」

やがて教高神の怒りの原因に意味に気がついたのか、慌てて教高神の上白衣を引っ張り‘ほらほらっ’と植物園の一番奥を指差した。

「いいから、もっとよくみて!あっちのずーと奥にいるのよ。見える?」

「あ?」

勘違いだったとしても‘また怒らせてしまった’と、気が気でないコトコは、教高神の背後にパタパタを足音をたてて回りこみ、指をさした方向へと広い背中をぐいぐいと押した。

そして再び教高神と並び、手摺から身を乗り出して言った。

「イリエくん、天使さんじゃなくて、あの一番奥にいる、老樹の事よ?」

「は?」

コトコが指をさすその先にあるのは、教高神がここを管理する前から存在していた、この植物園の中でも主ともいえるほど大きくて太い、立派な老樹の事だった。

「彼ね、ちょっと最近体調が悪いらしくて…

私どうにかしてあげたくて、ここに来た時には必ず大丈夫?ってお話ししに行ってたの。

一昨日からね、ツタさんが倒れそうな彼に巻きついて、折れてしまいそうな枝とかを助けてくれてるんだけど、昨日の風すごかったでしょ?だから、もしかしたらって…

ねぇどうしよう、これから行ってきてもいい?あれ?」

クルンッと身体ごと振り返ると、自分を睨みつけていた教高神はいつの間にか自分の隣からこつ然と姿を消し、書庫の中央にある長椅子に長い脚を組んで座っていた。

分厚い本に視線を落とし、さっき怒っていた事などまるでなかったようなその姿…

コトコはあわてて教高神の目の前に走りより、胸の前で指をもじもじと動かしながら、躊躇いがちにポソポソと話しはじめた。

「あの…私・・・植物園に入らない方がいいかなぁ?迷惑ならもう…ここに…グスッ、もう来ないように…グスッ…するわ・・・ふぇ・・・ごめんな・・・グスッ・・・」

泣き声の混じった呟きを聞いていた教高神は、大きく溜息を付きながら本から視線を上げ、俯いているコトコの顔に自分の顔をグッと近付けた。

「紛らわしいい方するからだ。バカ」

「れも、イリエ君すごく怒って…ふぇ…ごめんなさ……い、グスッ…だから、もう……」

とうとう涙が溢れてしまったコトコのすぐ目の前にあるのは、とても綺麗で意地悪な笑顔―

コトコは泣きながらも赤面し、身体を硬直させた。

そんなコトコを楽しそうに見ながら、教高神はコトコの長い黒髪をクルクルと指に絡めて引っ張り、ニヤリと口角を上げた。

「お前だけなら植物園に入っても構わない、いいか、おまえだけならだ。それより…おまえがここ最近翼の抑制が以前より出来ない原因がわかった」

潤んでいた瞳をぱちくりと瞬かせたコトコは、驚きのあまり教高神の二の腕を掴むと大きく揺さぶり、大声を出してしまった。

「ええ!なんで?!どうして!!」

「うるさい!ばか!大きな声出すな!」

「ごめ…ん……なさ…」

「いいか、あの老樹そろそろ寿命なんだよ、俺がここに赴任した時にはもう弱ってた。でもずっと倒れないで必死に今を生きようとしている。だから手を出さずに最後まで見届けてやろうって…おい、聞いてるのか?」

コトコは視線を逸らす事無く、コクリと頷く。

「だからあの老樹…爺さんは、自分の力で最後まで生きていこうとしているんだ。 おまえは自覚がなくても植物達の傍に行くと勝手に力を与えて影響を及ぼしてしまう。あの爺さんにも与えていたんだ。でも爺さんの事を思うなら、遠くで見守ってやった方がいい」

唇を噛み、教高神の二の腕を掴んでいた指先にキュッと力を込めたコトコは、またコクリと頷いた。

「最近おまえの翼がすぐに出るのは、爺さんに与えた分だけ、自分の力が弱くなってたって事だ」

コトコは上白衣をしわくちゃになるほど握り締め、大粒の涙をポロポロと床に落とした。

「私…グスっ…余計な…事ばっかり、ふぇ…ごめん…余計な事…本当にごめんなさい…ひっく…」

教高神は不思議な色を放つコトコの天輪を見つめながら、大きな手の平でポンポンと小さな頭を軽く叩いた。そして何度目かの溜息を付くと、テラスの外へと視線を向けた。

「―ったく…見てみろ、葉があんなに光ってるのはおまえの力のおかげだぜ?それはそれで喜んでるんだからいいんじゃないのか?おいバカコ トコ、少しの間だけでもおまえと話が出来るんだ、爺さんは喜んでるさ」

「そうかな…ぁ」

「おまえと話してると本当に色々勉強になるよ。あれだけ冷血やら冷酷やら…影ではステンノとまで言われてた俺がおまえと出会って、同居し、もう5年だぜ?お前には学術以外の様々な事を学ばせてもらった。だから爺さんの事も赴任当時から理解できたんだ。好きにしろ。」

「え!じゃ、たまになら話ししてきてもいい?!ギュってしても平気かなぁ?」

涙でぐしゃぐしゃなになりながらも、笑みを浮かべたコトコの一言に、教高神は眉をピクリと動かし、再び眉間にシワを寄せた。

「……おまえいつもあの爺さんに抱きついてたのか?」

「うん!だって凄い大きいでしょ!一度で全部ギュって出来ないから、お話しながらクルクル回ってギュウ~って♪老樹さんも喜んでくれてるの!…ん?…イリエ君?」

「………コトコ、珈琲を。おまえのいつものブレンドで。」

突然低くなった、教高神の声色。コトコはきょとんとして、首を傾げた。

「うん…淹れるね……イリエ君?…どうしたの?」

「なんでもない、今すぐ飲みたくなったんだ。あと、おまえやっぱりあの爺さんに近づくの禁止な。遠くから見るだけにしろ、話すなら離れて話せ。」

「え~~~~!いいって言ってくれたのに~!」

「訂正する。その話はこれで終わりだ。今すぐに珈琲淹れてくれ、後で俺もおまえから力返してもらわなきゃいけないから、隣に座ってミルクでも飲んでろ!」

「は~い……イリエ君の意地悪…」

「何か言ったか?」

「………」

納得のいかないコトコは悩んで悩んで悩みながらも、壁際にある細かい彫刻の施された棚から豆とミルを取り出し、珈琲を入れる準備をはじめた…

 

 

゚・*:....:*・゚゚・*:....:・゚

 

7~

◇・エデンの光と影・◇~5~

 

゚・*:....:*・゚゚・*:....:*・゚

 

 

 

「ァッ…ン、ハァ…ありが…とぅ……」

「いいから…」

 

 

神々しい光と共に小さな叫び声が消えると、教高神はそっと、コトコから体を離した。

 静かに時は過ぎ、辺りには元の書庫内の雰囲気へと戻っていく。

その行為が終わるのを待っていたかのように小鳥はさえずりはじめ、さらりとした風が吹き込んできた。

教高神の神力により、白く華奢な背中に黒い翼をおさめられたコトコは、汗で張り付いた黒髪を整える余裕も無く放心し、潤んだ瞳を宙に泳がせている。

 一方、神力を少々与えすぎた教高神も大きく深呼吸をし、ぐったりと長椅子に身を沈ませていた。

 「イリエ君…ハァ…ぅ…本当にごめ…さい…」

 その教高神の上にもたれかかったコトコは、更にぐったりとした様子で、ハァハァと肩で大きく呼吸をしている。

 その様子を見ながら教高神は口角を上げ、≪やれやれ―≫と仕方なさそうに声をかけた。

 「おまえさ、いつまでも俺に頼ってるわけにはいかないだろう?俺だって一日に数回しか対処出来ないんだ、毎朝手伝ってやってるのに、最近じゃすぐに出しやがって…」

 「ぅ…ごめんな…さい、なんでこんなにすぐにでちゃう……のか、私にも…分からないの…迷惑かけないように頑張るから…ごめん…なさァ…」

 少しばかり落ち着きを取り戻した教高神は、溜め息をつきながら自分にもたれ掛かるコトコの髪を一房軽く引っ張り、指に絡ませてクイックイッと引っ張って遊び始めた。

 「俺その台詞も何回聞いたっけ」

 「ごめんな…ぁッ…ッんんッ……髪の毛…やァ…抜けちゃうぅ」

 「抜けねーよ、バーカ」

 「ちが…ッう、そうじゃないの……んッ」

 「もういい…きょうはもう出すんじゃないぞ」

 「うん…」

 何度も言われ、いつも怒られているのに何故やってしまうのか…。

コトコは涙ぐんだ瞳を開いて、じっと見上げた。

 「ごめ…ふぇ……なさッ…いィ…」

 「もういいっ!」

 「でもぉ…」

 一瞬、どくんと心臓が跳ねたような気がする…

少し落ち着きのなくなった教高神は、コトコを横に抱きなおして、テラスの向こう側へと視線を向けた。

「で、今日はなんでここに来たんだ?お袋に何か頼まれたのか?まさかとは思うが、また俺が目的なんじゃないだろうな…」

 ピクンッと反応した琴子は、教高神の膝の上でにっこりと笑みを浮かべた。

 「あの、ね。怒らないで聞いてくれる?

 「あ?」

 「あのね♪大正解!!イリエ君に会いに来たの!イリエ君の大きいお家より、ここの方が狭いから近くにいられるし…それに2人っきりで会えるのって、ここだけでしょ!」

 「おい…ここのどこが狭いんだ?天使界で一番の書庫なんだぞ!それに2人っきりってなんだよ!別におまえと付き合ってるわけじゃない。どっちかと言うと保護者みたいなもんだろうが!年が何歳離れてるとおもってるんだ!」

 「えと~あたしが16歳でイリエ君が23歳だから~…7歳!」

 「……よく間違えないで計算できたな…ってそうじゃないだろう!」

へへへ…とコトコは笑いながら、テラスの向こうに視線を向けた。

 「あのね、一昨日植物園のお花さんにね、また来るって約束したの、あとね…」

 「またそういう危ない発言を…気をつけろよ。後は?」

 今度は頬を上気させて、コトコは照れくさそうにはにかんだ

 「あのね、私………彼に会いにきたんだ♪」

 「…彼?」

 「うん♪」

 教高神の整った眉がピクリッと動き、眉間にシワが寄る。

「おい、俺は毎日毎朝貴重な朝の刻をおまえの翼をおさめるために時間を割いてやってんだぜ?しかもお前の望み通り2人っきりでだ…なのにおまえは………彼だと?なら彼に翼をおさめてもらえよ。ここじゃなくてそっちにいって休めよ!」

 自分の膝の上からコトコをどかすように立たせようとするが、コトコは身体を捻って困ったような顔を向けた。

 「違う!違うよ~一番大好きなのはイリエ君♪♪それに私の翼をおさめる事が出来るのはイリエ君だけよ?本当よ?私のお父さんも、イリエ君のお父さんも、おばさんも…ユウキ君もみんな出来なかったし、クラスの誰もできなかった。学校の先生は相手にしてくれないし…」

 眉間のしわが一本 また一本と増え、教高神の身体が黒いオーラに包まれ、小刻みに震え始めていく。

 「……おまえ誰にどんだけ背中と翼見せて触らせてんだよ…!!!」

 

 ピカ!ビシッ―ドン!バリバリバリ!!

 

「あ、イリエ君、どこかに雷が落ちたみたい。帰り雨降ったらどうしよう…」

コトコはぴょんっと教高神の膝から降りると、テラスに駆け寄った。

両手を天にかざし、雨粒が落ちてこないか不安げに見上げている。

 ≪なんかイラつく…わけわかんねー………≫

 頭の痛くなった教高神だったが、いらいらしながらも立ち上がり、コトコの背後にそっと立った。

上半身を倒し、気づかないコトコに顔を近づけていく。

 「雨なんか降らねーよ。ばーか」

 あげていた両手を下ろし、声がする方へフイッと振り向いたコトコは、教高神の顔があまりにも近かった事に気がつき、真っ赤になって視線を床へと向けた。そして続けざまにコトコの耳元で囁く。

 「で、彼って誰なんだよ」

 「あ、うん…あのね、昨日すごい風だったでしょ?」

 「ああ…風を司るレフリエラ・マツモト風女神が、スンドウラ球心天使に対して凄い剣幕で怒ったらしいぞ。被害が出るからスンドラ球心天使にいい加減にしろって言ってるのに…ったく、くだらないー」

 「そうだったんだ~スンドウラ球心天使様、またなんだ…可哀想だね…」

 「なんでだよ」

 「うん、気持ちはわかるわ……」

 「は?……で、おまえの言った彼ってどいつなんだよ」

 コトコはテラスのふちに手を置き、真っ直ぐ植物園を指差した―

 

 

゚・*:....:*・゚゚・*:....:*・゚

 

6~