◇・エデンの光と影・◇~12~

 

 

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「イリエ君は…平気……なの?」

しんっと静まりかえっている、二人以外誰もいない、膨大な量の本が納められている広い書庫。
本に囲まれた薄暗い部屋の中で、震えた唇から漸く発せられた、途切れ途切れの呟き声。
しかし聞こえてきた言葉はたったそれだけで、続く事は無かった。
壁に灯された幾つもの灯りが静かに揺れながら、その様子を浮かび上がらせている。

 

 

普段から、紅をつけなくてもピンク色で ぷるんとしているコトコの唇は、今緊張で小刻みに震え、血の気を無くしていた。同じように陶磁器の様に白い肌も更に白くなり、その姿が今にも消えてしまいそうな気がして、教高神は小さな顎を掴んでいる指に力を込めた。

しかし、そんなコトコの様子を見て、やはり最近の出来事は自分に非があったわけではなく、目の前に座っているコトコ自身に原因があると察知し、訳の分からぬ苛立ちに 思わずちっと舌打ちをしてしまった。

 

教高神の舌打ちを耳にし、更にビクついてしまったコトコは、現状をどうにかしなければいけないとは分かっていながらも緊張しすぎて声が出ず、その結果、折角奮いだたせた小さな勇気も 胸の奥でしぼんでしまっていた。

唯一自由に動かす事の出来る目を彷徨わせ、躊躇いながらもそっと教高神の額に視線を向ければ、薄っすらと青筋が立っている…
(怒ってる…もう駄目かも…)思わず、瞼をぎゅっと閉じたコトコだったが、早くこの場から逃げたい一心で深呼吸を繰り返し、不安定な思考回路をどうにか落ち着かせ、ぐっと拳に力を入れながら口を開いた。

「その…だから…く、唇を……///」

勇気を出してそこまで口にした途端、教高神の唇の感触や目前に迫る長い睫毛、香りを思い出し、真っ白だった顔色はぼんっと音を立てたように真っ赤に染まってしまった。
それ以降、口を開けば口ごもり、つっかえ、言葉にならず、どう頑張ってもこれ以上は続きを話す事が出来ない。
極度の緊張でいてもたってもいられなくなり、助けを求めるように、視線をドアへと向けた。

 

(何故こんなにも脅え、震えているのだろう)教高神は、首を捻りながら顎を掴んでいた指を離すと、真っ赤に染まっている頬を指の腹でそっと撫でた。そしてすっと立ち上がると、上白衣の衣擦れの音を静かに立てながら、天井まであるガラス扉を押し開け、テラスへと移動した。
すらりと伸びた腕を組んで瞼を閉じ、張っていた肩の力を抜いて、ふうっと小さく溜息をつく。

(そう言えば、もう随分と、コトコの笑顔を見ていない気がする…)そんな事を考えながら、もう一度溜息を付き夜空を見上げれば、飛び込んできたのは、星々が瞬き、会話を楽しんでいるかのような満点の星空。目に映ったその星達の様子が、以前までのコトコの様子と重なり、教高神は表情を緩め、口角を上げた。

しかし、ここ最近のコトコの様子はどうだろう…打って変わって大人しくなり、自分を真っすぐ見ない。胸の片隅に冷たい風を感じた教高神は、口角を下げ、小さな溜息を付いた。

 

コトコは自分の周りの空気や雰囲気が、先程とは変わって柔らかく変化したような気がして、座ったままの姿勢で長い睫毛を瞬かせ、周囲を伺うようにゆっくりと瞼を開いた。
びくびくしながら夜風の吹き込んでくる方向へと視線を動かすと、そこには夜の闇の中、真っ白な上白衣を纏った教高神が、浮かび上がるように佇んでいた。
大きく見開かれた、コトコの黒水晶の様な瞳に映ったその後姿は、勇ましく美しい月の女神、アルテミスと美しさを競う、ヴァルドエル神のよう…

程よい筋肉の付いた二の腕
夜の微風になびく、柔らかい髪
まっすぐに伸びた背筋
均整の取れた細身の体躯
夜空に瞬く、数多の星々の輝きを掠めてしまう程の、光輝くオーラ

暫くの間、その後姿にうっとりと心を奪われていたコトコだったが、教高神の足元から伸びている細い影にふと目が止まった。
視線を落としてゆっくり辿っていくと、それは、可愛らしいリボンの付いた グラディエーターサンダルを履いた自分のつま先にまで届いていた。
その影を作り出した月光が、まるで自分を応援してくれているような気がして、小さな拳ぎゅっとを握りしめた。
(今話さなければ、もう、声をかけるタイミングさえなくなってしまうかもしれない…)コトコは背筋を伸ばし、くっと顔を上げた。

「…あの…イリエ君を避けてた理由はね…その、これ以上唇を重ねるのは、心臓が痛くて、どんどん胸が苦しくなって……だからね…あ、あの時、私も納得して始めた事だけど、やっぱり…」

不自然なほど、強張ってしまう身体。
大きな瞳に涙が溜まり、ぽろぽろと零れていく。

「それで…ね、イリエ君は知ってるでしょう?わたしの気持ち。
あの時のイリエ君に対する気持ちは本物で、今も変わっていないの。ううん、今の方があの頃よりももっと好き。好きって気持ちがどんどん大きくなって、心の器から溢れちゃって、もう止められなくなっちゃって……
でもイリエ君は、わたしの事はなんとも思っていなくて、それが分かってるからすごく辛くて、耐えられなくなっちゃって…それでね……」

コトコが必死で話しているというのに、何故か教高神はぴくりとも動かず、静かに佇んでいるだけ。
その後姿が、まるで自身の全て拒否しているようで、コトコは胸の真ん中に穴が空いたような、冷たい空虚感に襲われていた。
(このまま話し続けていたら、もう二度と元には戻れなくなってしまうかもしれない…)締め付けられる胸の痛みに堪えきれず、きらきらと光る大粒の涙が、ぱたぱたと震える手の甲に落ちていく。

「今みたいに わたしと唇を合わせる行為は…その、やっぱり駄目だと思うの。
天使界では、永遠の恋人としかこういった事しちゃ駄目って決まりがあるでしょ?だから、ばれたらイリエ君も罰を受ける事になるわ。
それに、イリエ君がこれから出会う彼女さんが、その…こういった事してるって知っちゃったら、嫌だと思うの。
神力を元に戻す為には必要だけど、分かってるけど…だからってこれからもこのままでいいわけじゃなくて…

あれからずっと、イリエ君がわたしの病気の事を調べてくれてるって分かってるけど、自分勝手って怒るかもしれないけど、でも、もう無理なの。

それでね、私ずっと考えてたんだけど、漸く決心が付いたの。もう翼をおさめなくてもいい場所に行く。その…前に住んでた場所に戻ろうと思うの。
おじさんやおばさん、お父さんにもちゃんと自分で話して出ていくから、それまで大人しく静かに過ごすから、許してくれる?」

勇気を振り絞って一大決心を話したというのに、教高神は相変わらず身動き一つせず、沈黙している。

返事が返って来ない事に不安を感じたコトコは、上唇で下唇で覆うと、涙を振り払うために首を激しく横に振った。
大きく深呼吸をした後にゆっくりとソファーから立ち上がり、一歩一歩音を立てないように、教高神に近づいて行く。
そっと腕を伸ばし、細く白い指で教高神の背中に触れようとしたが、あと数センチというところで大きな不安に潰されそうになったコトコは、体中が痙攣をおこしているような感じがしてくらりとめまいを起こしてしまった。
言葉を口にしたくても唇を動かせば悲しみが溢れてしまいそうで、とても話す事等出来ない。

(……っ…今まで有難う。もう、わたしなんかにこれ以上関わらずに、自分の為に時間を使ってね。素敵な人を見つけて、その人と…)

それ以上考えたくなくて、これ以上苦しくなりたくなくて、コトコは腕を下ろし口を噤んだ。
大好きな教高神が、自分の知らない女性の天使に微笑みを向け、手を繋ぎ、唇を重ねる…
その事を想像してしまい、心臓がに握り潰されるほどの痛みを感じ、目の前が真っ暗になる。

―もう、これ以上は耐えられない―

「イリ……」

(駄目…心が壊れちゃう…)頬に伝い流れる涙を拭うこと無く、コトコはくるりと身を翻し、逃げ出すように書庫の扉へと向かったー

 

 

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13~