◇・エデンの光と影・◇~13~

 

 

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すっかり口を閉ざしてしまった、教高神とコトコ。
二人の胸の奥に浮かんでいるのは、底の見えぬ 深い湖。
一方は痛い程の沈黙に閉ざされた、岸に打ち寄せる波一つない、厚い氷の張った湖。
もう一方は悲しみの雨が降りそそぎ、騒めいた波の途切れる事のない湖。
波をきらきらと輝かせる太陽の光は、いつこの冷え切った湖の水面に注ぐのだろうか…

瞼を閉じ、グレーブラウンの瞳を完全に隠した教高神は、背後で震えながら話しているコトコの事など忘れたかのように腕を組み、じっと思案に耽っていた。

突然やってきた赤の他人の存在が、なぜこんなにも気になるのか…

コトコが来てからというもの、今までの平穏な生活が一気に逆転し、煩く賑やかに変化していった。
冷たく突き放しても諦める事無く、毎日騒がしく追いかけてくる幼い天使。
始めはそれが迷惑としか感じられず、無視をしていたというのに、月日が過ぎ気が付けばそれは、当たり前の事となっていた。
声を聞く事が待ち遠しく、些細な事も放っておけなくなり、その姿が見えないと胸の奥がざわつき、落ち着く事が出来ない…
笑顔でも、しかめっ面でも、怒った顔でもいい、時が許す限りその存在を感じ、言葉を交わし、その温かく柔らかい不思議なオーラに触れていたい。
静かに刻(時)を刻む時計の針が、一秒を刻むその短い間も決して離れたくないというこの思いは、一体、何を意味しているのか。
今では離れて行く事に恐怖さえ感じてしまう程、大きくなってしまったコトコの存在意義とは一体何なのか。
一体コトコの何が、ここまで自分を動かし変えていったのだろうか…

教高神は眉間にシワを寄せ思う。
おぼろげに浮かび上がる答えは、この真っ黒い未熟な天使は、何の苦も目的もなく生きてきた自分にとって、唯一何ものにもかえがたい、乗り越えなければならない壁なのではないかと。
これといった楽しみも、障害も無かった色の無い人生。
コトコという、果ての見えぬ壁を乗り越える事が出来たら、自分の人生はどう変わり、何を得る事が出来るのだろう…

 

そして胸中の奥深くに眠る、熱い燻り。
今の教高神には、ほんの僅かな欠片でさえ気づく事のないであろう、イバラに包まれた謎。
その答えが明確に出るのは、まだまだ先の事―

 

 

夜風にふかれ、静かに舞い上がった前髪をそっと掻き上げた教高神は、静かに瞼を開き一息ついた。
ゆっくり振り返り室内へと視線を戻すと、ソファーに身を縮こませて座っていた筈のコトコの姿は無く、いつの間にか真鍮でできた冷たいドアノブに手をかけ、何も言わずに書庫から出て行こうとしていた。

震える華奢な肩、僅かに見える白い頬にはきらきらと輝く涙。
涙を零しながら必死に唇をみ締め、嗚咽を漏らさない様にして泣いているコトコの横顔に、教高神の心臓が握り潰されるように苦しくなった。
焦り見開いた目に映りこんだそのオーラはとても儚く、今にも消えてしまいそうな程弱々しく変化していた。

ドアを開かなくても、空気に溶け今すぐ消えてしまいそうなコトコを見て、教高神に大きな不安感が襲い掛かってきた。短く何度か呼吸を繰り返し、平静を取り戻そうとするがうまくいかず、ぎゅっと拳を握りしめる。

またもや泣かせてしまった と自己嫌悪に陥り、こんな自分を責め殴ってやりたくて仕方がないが、しかし、今はとにかくこの部屋から出て行かせまいと、コトコに足早に近づいて行く。

悲しみのオーラに包まれたまま、またしても自分から離れ、消えようとするコトコ。
教高神は開かれようとしていた重厚なドアに勢いよく両掌を付くと、コトコを両腕で挟む様にして背後に立ち、息苦しく詰まった喉から絞り出す様に声を出した。

「待ってくれ…」

もっと言葉を紡ぎたいというのに、たった一言だけしか口にできず、教高神は情けない自分に薄い唇を噛んだ。

 

一方コトコは予想もしなかった事態に声を出す事が出来ず、強張った身体を動かす事も、振り返る事も出来なかった。
ついさっきまで、頭の中は美しい天使と寄り添っている教高神を思い浮かべ、悲しみでいっぱいだったというのに、教高神が自分の背後にぴたりと立ち、その温もりが伝わってくる事に顔を火照らせ、パニック状態に陥っていた。
心臓が耳まで移動してきたのではないかという程大きな音を立てて聞こえてくる。
ドアノブを握っている掌には、じわりと汗を掻き始めていた。

コトコが動きを止めた事を確認し、取り合えずほっとした教高神は、そっと掌をドアから離し、コトコの震える肩に両掌を置くと、そのまま腕を滑らせてそっと胸の中に閉じ込めた。
そして一呼吸し、ゆっくり口を開く。

「自己完結して、勝手に出て行かないでくれ。まだ話は終わってないだろ?」
「…わたしの話なんてちっとも聞いてなかったくせに。もういいの、全部話したから。だから、これ以上はもう…」
「聞いていないわけじゃない。ほら、立ってないでソファーに座れよ」

背後から覗き込むようにしてそう言いながら、ソファーへ座らせようとコトコを促すが、コトコは一歩も動かず、小さくふるふると左右に首を振った。

「いや…よ…っ…」

小さな呟き声。
小さくても精一杯、気持ちを込めた言葉。
それ以上声を出す事も辛いと感じ始めたコトコは、教高神から顔を背け、しゃくりを上げながら小さな肩を震わせて、溢れる涙を誤魔化す為に俯いた。

教高神は腕の中にいる筈のコトコが今にも消えてしまいそうで、コトコの身体を閉じ込めた両腕に力を込め、小さな後頭部に額を押し付けた。

「俺から…離れないでほしい―」

教高神の口から零れる、絞り出したような掠れた声色。
その声が耳に木霊し、断ち切れない、捨てる事の出来ない想いが膨れ上がったコトコだったが、思いっきり瞼を閉じ、今度は自分の想いを吹き飛ばすかのように大きく頭を左右に振った。

「もういいの!」
「何がだよ、自己完結するなって」
「これ以上、もぅ 何も言わ…ないでぇ…」

教高神の言葉に、コトコは話しを聞きたくないとばかりに両耳を押え、身体を左右に動かして腕の中でもがき始めた。
しかし教高神は、コトコを逃がさないとばかりに更に腕に力を込め、がっちりとコトコの身体を捕らえた。

「いいから聞けよ。いいか?お前の出した結論は一方的過ぎる」
「そんな事ないっ、ちゃんと考えたわ!イリエ君のばか!聞いてなかったくせに」
「聞いていたさ、ただちょっと…いいから座れよ」

手足を子供の様にバタつかせるコトコの身体を 半ば強引に横抱きにし抱え上げた教高神は、ゆっくりと歩を進めてソファーの前まで来ると、そのままドカリと座り込んだ。

「なっ!は///離して!下ろしてよ!!///」
「駄目だ、人の話を聞かないからだ」
「イリエ君だってわたしの話し聞いてなかったじゃない!」
「だから…ちゃんと聞いていたと言ってるだろう?ただ考え事をしていて返事をしなかっただけだ」
「そんなの酷い!」

辛い思いを漸く口にし、必死で話したというのに、一言も返事をしなかった教高神の態度が許せない。
コトコはむっとして顔を反らし、紅潮していた頬をぷくっと膨らませた。

「じゃあ…わたしなんて言ってた?」
「それは…」
「何よ」
「いつもの事だ。だろ?」
「へ?」

その返答に頭を捻ったコトコは、教高神と視線を合わせ、不思議そうに首を傾げた。

「いつもの事?わたし凄く凄く考えて一生懸命話したのに、‘いつもの事’?なにそれ?」

自分と漸く向き合ったコトコにほっとし、腕の力を緩めた教高神は、コトコの顔に自分の顔を近づけ、にやりと意地悪な笑みを浮かべた。

「ああ、いつもの事だ」
「え…?」
「おまえの話していた事は、纏めると結論は一つ。俺の事が好きって話だったぞ?」
「そ///ちょっ//////違うわ!」
「いいや?俺の解釈は間違っていないはずだ」

更に顔を赤面させるコトコ。
真正面にある教高神の顔から離れようと背を反らせたが、教高神はそれを追いかける様に体を動かし、口角を上げ更に顔を近づけてくる。

「ィ、イリ//////イリエ君、ち、近いってば///」
「あれだけ必死で話していたんだ、折角だから、もう一度俺の事好きって言ってくれよ。ん?俺も、おまえの…」
「//////」

瞼が閉じられ、教高神の潤んだグレーブラウンの瞳が見えなくなり、端整な顔が静かに近づいてくる。

「コトコ…」
「イリ///……」

二人っきりの部屋、横抱きにされている自分、甘く囁かれる教高神の言葉。
信じられない夢のような今の状況に、さっきまで怒ったり泣いたり落ち込んだりしていたコトコの辛い気持ちはすっかりどこか遠くへ吹っ飛んでしまっていた。
そしてその顔は、自分でもわかる程エデンの果てにある禁じの果物の様に真っ赤に染まっていた…

「コトコ…目、閉じろって…」

教高神の甘い声色で名を呼ばれ、背筋がぞくぞくしてくる。

「あ///」

普段 唇を重ねる時とは全く違う雰囲気に飲み込まれ、教高神の言葉をまともに聞く事など到底出来ない。
緊張して鼓動がヒートアップし、呼吸の間隔がどんどん短くなっていく。
しどろもどろになりながらそれでも必死で逃げようとするが、ゆっくりと圧し掛かってくる教高神にその意思は通じず、コトコの頭の中はすっかりパニック状態になっていた。
身体に圧し掛かってくる確かな重み、直に伝わってくる温もり、力の込められた両腕、そして頬に触れた柔らかい髪の感触…
コトコはこの先の展開を予想し、心臓をばくばく言わせながらぎゅっと瞼を閉じた―

 

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⑭~